2013年12月6日金曜日

ある障がい者の苦悩

ある障がい者の苦悩-
■脳梗塞で倒れてから、その後

            
私は、平成22年11月10日 午後3時半頃、妻が仕事場にホームドクターを呼び、救急車で運ばれ、脳梗塞で××病院に即日入院、わずか2週間の入院を経て、リハビリ病院である×××病院に転院しました。

 12月15日に退院して、現在自宅療養中です。その後、×××病院に週2度位の通院により、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の3名の先生に施術して現在もリハビリに励んでいます。  

 又週1回の訪問看護による在宅リハビリ療養や現在2か所の運動器具を取り入れた居宅ディサービスに、又、入浴や人との会話をする為に居宅ディサービスに週各1回行っています。    

 現在、私は身体障害者手帳2級を所持しています。あの日、私は自らの健康管理をきちんとしていなく、タバコを毎日1箱、酒も結構毎日飲んでいました。仕事も経理というストレスがたまりやすい仕事をしていましたので、脳梗塞になりました。なってからは、自分の身体が思う通りにならず、毎日毎日失望と苦痛の日々でした。

 「この身体、元に戻らないのだろうか」「これからどう生きていけばいいのだろう」と毎日、自分を責めました。この2年余りの時間が精神的、肉体的にも苦しく辛い時で、今も続いています。  

   ここで私の体験談として話をしていきます。  

(1) リハビリについて    

 早くから身体を動かしたつもりですが、自分の身体は自分で治療するしかないと思いました。数多くのリハビリや脳疾患に関する本を読んだり、人の話を聞いたりしましたが、ただただ悩むだけです。自分に合った方法、やりやすい方法をコツコツやるしかないのです。      現在、運動器具を利用して、そしてノルディックウォーキングを利用した歩行練習を居宅ディサービスや自宅にて、一人で取り組んでいます。    

  ともかく歩くことです。寝たきりにならないことです。始めは夜トイレの時は、し尿ビンを身近に置いてしていましたが、漏れてもいいから起きて歩いて近くのトイレまで行くようにしました。始めは身体がふらついて思うようにいきませんでしたが、だんだん慣れて一人で行けるようになりました。
※ ノルディックウォーキングとは、2本のポール(ストック)を使って、歩行運動を補助し、運動効果をより増強するフィットネスエクササイズの一種   

(2) 朝の歩行について     

 今、毎日朝5時頃に起きて6時~7時頃、外に出ます。隣に私の自営している事務所があります。近いのですが、2階にあり、外の階段を歩いて昇らないといけないので、雨の日も雪の日も歩いていくことは大変なことです。でも歩かないといけないから歯を食いしばって足を進めていきました。   
    早朝のひと時は、身体が悪い人が人目を避けてよく歩いており、時に声を掛けて知り合いになったりします。お互い病気があると歩く姿で分かるのです。「やあ、お互いゾンビですね」と悪い冗談を言われて、まぁ「それもそうだな」と思い込んで納得します。     
 しかし、情報交換はしますが、なかなか打ち解けません。やはり病気のせいでしょうか。   

(3) 病気の治り具合について      

 12月15日の寒い時に退院しました。その時、初めての試練が私を待ち受けていました。それは風邪をひいたことでした。風邪をひくと肺炎になる危険があったのです。風邪を馬鹿にしていたら、どんどん酷くなり、薬が飲み込めないのです。障害になり薬が飲めないとなると話になりません。すぐ、病院に行って点滴を3~4日やったり、とろみのジュースを買ってきて飲んだりしましたが、それは大変な毎日でした。死ぬかと思いました。薬を飲み込む力がないと肺炎になり、いずれ身体が弱っていきます。このことが私を風邪に対して、慎重になるようになりました。風邪をひいたと思ったら、何日も風呂に入らず養生をしました。     

 又、足は放っておくと筋肉が衰え、小さくなるのです。足が衰えていくことが自分で分かり、通販の歩行器を買って折にふれて練習していますが、毎日歩くことが一番だと思いました。バカにできないことです。     
 又、人と話をすることです。うっかりすると人と話ができなくなり、ろれつが回らなくなるのです。それを防ぐ為にも発生練習をし、一人でしゃべり、人を捕まえては会話をします。     

 人を恐れてはだめです。つい自分の姿を人に知られるのが怖くて、億劫になるのですが、勇気をもってしゃべることが大事です。     
  それと字を書かないといけないのですが、字を書かないと忘れてしまいます。そして、字が汚く粗末になります。ぐにゃぐにゃと何を書いたのか、自分でもましてや他人にも分からなくなります。小学生の頃を思い出してしっかりと字を書くのです。忘れない為にも書くのです。     

 そして、本を読むことに努めてまいりました。自分の人生は後数年と分かるようになりました。無限の年数はないのです。そしたら、まだ自分はやり残しているのではないかと思うようになり、人生を急いで過ごすようになりました。     
  本も今まで以上、毎日一冊を読破するように努めています。仕事も同じです。未完成のものを完成させるためにも毎日毎日が大事な時間になります。  

  (4) 食事について     

 病後、医者から「タバコをやめないと命がなくなるよ。あなたはそれでもいいけど残された家族はどうなるの?」と言われ、その言葉が胸にぐさっと突き刺さり、タバコをやめました。もう2年になります。もともと血圧が高く、痩せなさいよと言われてます。でも、なかなか痩せません。ダイエット療法が自分に合ったのが見つからないのです。ある日「1食で貴方は痩せられる」という本を手にし、今一日夕食のみの食事療法を実施しています。  

  (5) ケア・マネージャーについて      

 病気になってからケア・マネージャーとの付き合いが始まりました。退院してすぐトイレの便座をケア・マネージャーからの紹介で業者に取り付け工事をしました。以後、色々な業者を紹介されましたが、ろくなのはいません。トイレの便座の業者は取り付ける時、足の位置が高く、ブランブランになり安定せず、便座に隙が出来て、水漏れがするのです。妻が着工前に「本人を座らさなくて大丈夫ですか?」と言ったのに、このざまです。苦情を言うと、後から責任者が来て、位置を直したり水漏れを直したりしましたが、直りません。挙句の果ては、もっときちんとしたものを交換しましょう。その時、業者の人からは、「福祉用具の購入費の支給は1年毎に更新となるから」と聞いたが、後日役所へ確認すると「介護度が3ランク上がるか又は引越をするなどの特別な事情がない限り認められない」と言われた。業者による設置ミスでも。それって又買い替えるのですか?そんな馬鹿な。始めにきちんとやっておけばこんなことにならなかったのに。立ち会う方の時間も労力も無駄です。     

 このように介護にまつわる福祉用具の関連の業者には、相手が介護や障害があるからと思い適当にされ、一般では考えられない商売をしています。名のある指定業者でもしかりですから、油断はできません。ケア・マネージャーはそんなことは知りません。連携と言えば聞こえはいいけど、紹介しても手数料が入るわけではなく、利用者のアフターケアがないのです。ケア・マネージャーは利用者が選択できると言われていますが、現実には個人情報の保護もあるので、なかなか変更できません。ケア・マネージャーは受け持つ人数が多く、50人位担当していれば月1回の面接さえもできない状況です。そんな人ばかりではないとは思いますが、いろいろな意味で質・モラルの向上を願います。利用者からみれば、安心して任せられる人間性のあるケア・マネージャーが資格の条件です。    

 私は今の自分の姿をみて、幸せなのか不幸なのか分からなくなっています。ただ言えることは、過去には戻れず、又未来はなく、ひたすら現在を自分なりに生きていくだけです。そして、この生きる姿を回りの人たちが自分の事を後でいいから分かってくれたらと思います。  

 最後に病気の日から現在まで、他人に言えない苦労をして、そばで私を支えてくれた 最愛の妻と子供に対して、感謝をし、心からお礼を言いたいと思います。
「ありがとう」
http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です