2013年12月24日火曜日

精神障がいをどう乗り越えるか?

障がいを乗り越えるには?

感情的にならないこと

この前風邪をひいて精神病院の中にある内科を受けようと思い、病院内のロビーに待ってました。
すると、後ろのほうで、「いい加減にしなさいよ(怒)」と何回も連呼する女性の声が聞こえました。
どうやらお母さんがお子さんを叱っていたらしいのです。
私はなるべく気をそらしていましたが、帰りがけに、中学生か高校生の女の子が泣きながら携帯で誰かに話していました。

私は思いました。あまり周りに大きな声で感情的に叱るものではないな。怒られた方は恥ずかしいのと親から避けられていると感じてしまいます。
また、こうも仰ってました「あなたは入院よ!」
これもあからさまに言ってはいけないNG言葉だと思いました。
お母さんが娘を否定しているとこちら側も感じてしまいました。

精神病を発病してしまったら、周りの扱いが変わります。

  • みんなと協調できない。
  • 「もうだめだ」とすぐ否定的な考えをする。
  • 余計な心配をしすぎる
  • 集中力にかける
  • 頭が働かない etc…
そのため、みんなから誤解を受けたりします。
うまく自分の思っていることがなかなか言えなかったりします。

自論ですが、精神病は周りとコミュニケーションがとりにくい病気なのではないかな?と思います。
幻視や幻聴はありますが、薬を飲用していても聞こえます。私は薬を飲用しますが幻聴を聞きます。妄想もなくなりました。
これを元気だと主張するのはおかしいですが、十分毎日を不安なく過ごせています。

話を下に戻しますが、親や上司など上の権利ある方からの叱責は精神障がい者にとって大きなダメージを感じてしまいます。
なので、近頃の精神病院はお医者さんや訪問看護士さん、親御さんなど、みんなで精神障がい者がよりストレスを感じず元気に生きてけるように見守る制度があります。

あの親子さん明るく元気になって欲しいです。



(baruko)


2013年12月17日火曜日

国語や数学の本当の力

みらいのカリキュラムには、ビジネスマナー・OA・簿記などと並んで、国語や数学、作文があります。
ビジネスマナーや簿記に比べて、国語、数学、作文は就労に役立つ姿が想像しにくいかもしれません。
ですが、これらは立派に役に立つのだということを、自分は今就労の現場で実感しています。

国語は言葉づかいや、知っている単語を増やすという意味で、
数学は数字に慣れる、計算を早くするという意味で、
それぞれ役に立ちますが、それよりももっと重要なことがあります。
国語も数学も作文も、大事な「考える力」を育ててくれるのです。

もちろんみらいの授業でも、考える力は養われるはず。
基礎からじっくりと取り組んで、大きな武器を手にするチャンスです。

2013年12月13日金曜日

障がいを持つ子に3つの教え

ひょんなことから、現在活躍されているダウン症の書道家、金澤翔子さんのことを知りました。
ダウン症は染色体の異常によっておこる先天的な症候群で、知的障害や特徴的な外見などが見られます。金澤さんはその障がいを持ちながらも、書道家として身を立てることに成功しました。
その金澤さんのお母さんが、いつか金澤さんが一人になってもうまく暮らしていけるように、いつも注意して教えていることがあるそうです。
1.いつも身の回りをきれいにすること
これは世間的に孤立してしまわないために重要だと考えているそうです。自分のことを身ぎれいにできないと相手からもマイナスに映りますね。
2.料理をすること
おそらく食生活が乱れて、結果健康を害することがないようにだと思います。
3.資格を持つこと
なにか「これがあれば食べていける」という資格を持つことで、安心感が変わってきます。
障がいを持つ人ばかりでなく、一般的にも広げられる教え方だと思います。親の愛は深くて偉大です。
(トムキャット)

2013年12月10日火曜日

みらい冊子できました!

”みらい”ってどんなところ?

”みらい”についての冊子を作りました。

この冊子は「赤い羽根募金」のときに一緒に配る冊子です。

”みらい”って小学生対象というけれど、どんなことするの?
障がい者の就労を支援する内容は?


冊子の内容はこれを説明してます。是非、赤い羽根募金を見かけたら読んで見てください。











(baruko)



2013年12月6日金曜日

障がい者就労支援センター みらいの仲間たち

障がい者就労支援センター みらいとは?

障がい者であることを忘れさせてくれる。

私は、精神障がい者ですが、今まで仕事を探すときは、その障がいを隠して仕事していました。あまりコミュニケーションが計れず、人間関係にも悩まされました。

しかし、ここ「みらい」では、お互い同士障がい者なので、少し、伝達不足もありますが、みんなが私の体を気遣ってもらえます。
「みらい」は立ち上げたばかりなので、みんな忙しく、まだまだの私に快く指導をして頂けるので、とても人間性を養うのにピッタリなところです。
少しハードルの高い仕事を任されてそれが最終的に認められるのは嬉しいです。

是非 みなさんもご見学でもよろしいので、覗いて見に来て下さい。
(baruko)



これは私が作りました赤い羽根振込用紙のデザインです。
是非みなさん募金のほう宜しくお願いします


 

ある障がい者の苦悩

ある障がい者の苦悩-
■脳梗塞で倒れてから、その後

            
私は、平成22年11月10日 午後3時半頃、妻が仕事場にホームドクターを呼び、救急車で運ばれ、脳梗塞で××病院に即日入院、わずか2週間の入院を経て、リハビリ病院である×××病院に転院しました。

 12月15日に退院して、現在自宅療養中です。その後、×××病院に週2度位の通院により、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の3名の先生に施術して現在もリハビリに励んでいます。  

 又週1回の訪問看護による在宅リハビリ療養や現在2か所の運動器具を取り入れた居宅ディサービスに、又、入浴や人との会話をする為に居宅ディサービスに週各1回行っています。    

 現在、私は身体障害者手帳2級を所持しています。あの日、私は自らの健康管理をきちんとしていなく、タバコを毎日1箱、酒も結構毎日飲んでいました。仕事も経理というストレスがたまりやすい仕事をしていましたので、脳梗塞になりました。なってからは、自分の身体が思う通りにならず、毎日毎日失望と苦痛の日々でした。

 「この身体、元に戻らないのだろうか」「これからどう生きていけばいいのだろう」と毎日、自分を責めました。この2年余りの時間が精神的、肉体的にも苦しく辛い時で、今も続いています。  

   ここで私の体験談として話をしていきます。  

(1) リハビリについて    

 早くから身体を動かしたつもりですが、自分の身体は自分で治療するしかないと思いました。数多くのリハビリや脳疾患に関する本を読んだり、人の話を聞いたりしましたが、ただただ悩むだけです。自分に合った方法、やりやすい方法をコツコツやるしかないのです。      現在、運動器具を利用して、そしてノルディックウォーキングを利用した歩行練習を居宅ディサービスや自宅にて、一人で取り組んでいます。    

  ともかく歩くことです。寝たきりにならないことです。始めは夜トイレの時は、し尿ビンを身近に置いてしていましたが、漏れてもいいから起きて歩いて近くのトイレまで行くようにしました。始めは身体がふらついて思うようにいきませんでしたが、だんだん慣れて一人で行けるようになりました。
※ ノルディックウォーキングとは、2本のポール(ストック)を使って、歩行運動を補助し、運動効果をより増強するフィットネスエクササイズの一種   

(2) 朝の歩行について     

 今、毎日朝5時頃に起きて6時~7時頃、外に出ます。隣に私の自営している事務所があります。近いのですが、2階にあり、外の階段を歩いて昇らないといけないので、雨の日も雪の日も歩いていくことは大変なことです。でも歩かないといけないから歯を食いしばって足を進めていきました。   
    早朝のひと時は、身体が悪い人が人目を避けてよく歩いており、時に声を掛けて知り合いになったりします。お互い病気があると歩く姿で分かるのです。「やあ、お互いゾンビですね」と悪い冗談を言われて、まぁ「それもそうだな」と思い込んで納得します。     
 しかし、情報交換はしますが、なかなか打ち解けません。やはり病気のせいでしょうか。   

(3) 病気の治り具合について      

 12月15日の寒い時に退院しました。その時、初めての試練が私を待ち受けていました。それは風邪をひいたことでした。風邪をひくと肺炎になる危険があったのです。風邪を馬鹿にしていたら、どんどん酷くなり、薬が飲み込めないのです。障害になり薬が飲めないとなると話になりません。すぐ、病院に行って点滴を3~4日やったり、とろみのジュースを買ってきて飲んだりしましたが、それは大変な毎日でした。死ぬかと思いました。薬を飲み込む力がないと肺炎になり、いずれ身体が弱っていきます。このことが私を風邪に対して、慎重になるようになりました。風邪をひいたと思ったら、何日も風呂に入らず養生をしました。     

 又、足は放っておくと筋肉が衰え、小さくなるのです。足が衰えていくことが自分で分かり、通販の歩行器を買って折にふれて練習していますが、毎日歩くことが一番だと思いました。バカにできないことです。     
 又、人と話をすることです。うっかりすると人と話ができなくなり、ろれつが回らなくなるのです。それを防ぐ為にも発生練習をし、一人でしゃべり、人を捕まえては会話をします。     

 人を恐れてはだめです。つい自分の姿を人に知られるのが怖くて、億劫になるのですが、勇気をもってしゃべることが大事です。     
  それと字を書かないといけないのですが、字を書かないと忘れてしまいます。そして、字が汚く粗末になります。ぐにゃぐにゃと何を書いたのか、自分でもましてや他人にも分からなくなります。小学生の頃を思い出してしっかりと字を書くのです。忘れない為にも書くのです。     

 そして、本を読むことに努めてまいりました。自分の人生は後数年と分かるようになりました。無限の年数はないのです。そしたら、まだ自分はやり残しているのではないかと思うようになり、人生を急いで過ごすようになりました。     
  本も今まで以上、毎日一冊を読破するように努めています。仕事も同じです。未完成のものを完成させるためにも毎日毎日が大事な時間になります。  

  (4) 食事について     

 病後、医者から「タバコをやめないと命がなくなるよ。あなたはそれでもいいけど残された家族はどうなるの?」と言われ、その言葉が胸にぐさっと突き刺さり、タバコをやめました。もう2年になります。もともと血圧が高く、痩せなさいよと言われてます。でも、なかなか痩せません。ダイエット療法が自分に合ったのが見つからないのです。ある日「1食で貴方は痩せられる」という本を手にし、今一日夕食のみの食事療法を実施しています。  

  (5) ケア・マネージャーについて      

 病気になってからケア・マネージャーとの付き合いが始まりました。退院してすぐトイレの便座をケア・マネージャーからの紹介で業者に取り付け工事をしました。以後、色々な業者を紹介されましたが、ろくなのはいません。トイレの便座の業者は取り付ける時、足の位置が高く、ブランブランになり安定せず、便座に隙が出来て、水漏れがするのです。妻が着工前に「本人を座らさなくて大丈夫ですか?」と言ったのに、このざまです。苦情を言うと、後から責任者が来て、位置を直したり水漏れを直したりしましたが、直りません。挙句の果ては、もっときちんとしたものを交換しましょう。その時、業者の人からは、「福祉用具の購入費の支給は1年毎に更新となるから」と聞いたが、後日役所へ確認すると「介護度が3ランク上がるか又は引越をするなどの特別な事情がない限り認められない」と言われた。業者による設置ミスでも。それって又買い替えるのですか?そんな馬鹿な。始めにきちんとやっておけばこんなことにならなかったのに。立ち会う方の時間も労力も無駄です。     

 このように介護にまつわる福祉用具の関連の業者には、相手が介護や障害があるからと思い適当にされ、一般では考えられない商売をしています。名のある指定業者でもしかりですから、油断はできません。ケア・マネージャーはそんなことは知りません。連携と言えば聞こえはいいけど、紹介しても手数料が入るわけではなく、利用者のアフターケアがないのです。ケア・マネージャーは利用者が選択できると言われていますが、現実には個人情報の保護もあるので、なかなか変更できません。ケア・マネージャーは受け持つ人数が多く、50人位担当していれば月1回の面接さえもできない状況です。そんな人ばかりではないとは思いますが、いろいろな意味で質・モラルの向上を願います。利用者からみれば、安心して任せられる人間性のあるケア・マネージャーが資格の条件です。    

 私は今の自分の姿をみて、幸せなのか不幸なのか分からなくなっています。ただ言えることは、過去には戻れず、又未来はなく、ひたすら現在を自分なりに生きていくだけです。そして、この生きる姿を回りの人たちが自分の事を後でいいから分かってくれたらと思います。  

 最後に病気の日から現在まで、他人に言えない苦労をして、そばで私を支えてくれた 最愛の妻と子供に対して、感謝をし、心からお礼を言いたいと思います。
「ありがとう」
http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です

脳梗塞患者の妻として

脳梗塞患者の妻として 
1.立場   
    とある脳梗塞患者の妻として
2.テーマ   
    ぴあチアーズとの出会い・繋がり 
     ~その出会いを大切にしたい~
3.主に伝えたいこと   
    ① 脳卒中患者と共に生きる家族
       としての素直な想い・体験談  
      ② 皆さんにもぜひお勧めしたい
       「知って良かった福祉制度・サービス」
       「入っていて良かった民間の各種保険」

4.病歴
平成22年
11月10日 
            
夫、脳梗塞を発症 即日××病院へ緊急入院               
夫は脳卒中の危険因子を持っていた。
危険因子:
高血圧、肥満(メタボ)、過労、ストレス、喫煙、毎日晩酌、不整脈、短時間睡眠
性格は、仕事熱心、せっかち、頑固、短気、周りの言うことを聞かない(医者処方の高血圧の薬を捨てていた)、自信家、競争心が強い   
11月25日   リハビリの為に、×××病院へ転院   
12月15日   夫は仕事が心配で自分で退院日を決め、早めに×××病院を退院し、在宅生活のスタート(夫職場復帰)
12月25日頃  今まで風邪も引いたことのない人だったのに、夫は大風邪をひき、食欲もなく、薬も飲めなくなる(嚥下障害)

年末に向けて、×××病院で点滴通いの日々を過ごす
平成23年
4月中旬     ×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる
5 ぴあチアーズとの出会い   

① 医療費とリハビリ継続の関係      
×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる。主治医は「手帳を持っても余りメリットは無いだろう」と言っていました。が、後から分かったことだが、広島市では、身体障害者手帳3級以上を取得すれば(一応所得制限があるが)、大体の人は、医療費がタダになる「重度障害者医療費受給者証」がもらえる。     

  私達夫婦はこのことを知り、6月に本気で身体障害者手帳を申請しようと、この制度に挑んだ。結果、8月にはめでたく身体障害者3級の認定をもらい、所得制限にも引っかからず、重度障害者医療費受給者証がもらえたため、それまで経済的に大きな負担であったリハビリ通院費や毎月の処方代など様々な医療費が公費負担となり、経済的な不安が一つ取り除かれた。「これで安心してリハビリに専念できるね」と夫に言ったものです。      

脳卒中は、その名の通り、ある日突然起きて、何の準備も覚悟もできず、その発症直後から今までの生活が一変してしまう。 脳卒中の言葉の意味は、「卒然として邪風に中る」、つまり、突然悪い風にあたって倒れるという意味。      
その中で、治療やリハビリ生活が始まるが、それを続けていくためには、経済的な心配・不安があっては、続けようにも続かない人も多いだろう。  
この制度は、まだ知らない人にはぜひ知って活用して頂きたい。医者やリハビリスタッフは、「リハビリは大切。続けることが大事。」と言うが、続けていくには、まず経済的不安を取り除かなくては。   

② 介護保険制度・福祉用具の活用      
介護保険制度の中に、「福祉用具購入費の支給」というサービスがある。脳梗塞で左半身麻痺が残った夫は、トイレの失敗や困難が増えた。まず、人間は、どちらかの身体が麻痺すると、トイレの大小にも影響することが分かった。大事な部分の括約筋が緩むので、意思とは関係なく出てしまいやすく、トイレに間に合わないことも多々あり、また不衛生になりがちである。       

その悩みを一つ和らげてくれるのに、暖房便座付ウォシュレットトイレへの工事だ。     
我が家は、賃貸マンションなので、大家さんに許しを得て、トイレと風呂を改修した。トイレ、風呂には、本人が使いやすい場所に手すりを付けたのはもちろんのこと、トイレに元々設置してあった洋式便座では低く、立ち上がりが難しく、暖房やウォシュレットのないシンプルなものだったので、補高便座として付け替えてもらった。介護保険では、これらの工事費や購入費も本人の負担は1割で、大変有難い。色々と問題点はあったが、これで本人のトイレ環境は以前より改善された。      
ソファの立ち上がり用に、置き型の手すりもレンタルしていたが、リハビリ効果か?     
本人の移乗が以前よりも楽にできるようになったので、返却した。(後半は子どもの鉄棒状態になっていた。)   

③ 本人の明るさに救われることも      
この例として、ある日リハビリで、「若い女の子に、女の子の方から触ってもらえる」と嬉しそうに話す夫。女性の患者さんなら、若いイケメンのリハビリスタッフだと元気とやる気がアップするかもしれませんね。 身体障害者手帳が3級から2級に上る時、障害の認定が上がるというのは本来、障害が重たいことを示すもので、喜ばしいことではありません。しかし、「"次は1級目指して頑張ります"と主治医に言ったんよ」という言葉を夫から聞いて、「漢字検定じゃあるまいし」と思わず笑ってしまったが、脳梗塞という病気になっても、主治医に対してジョークを言えるくらいの明るさと、頭の健康を残してくれたことに、内面では癒されることもありました。      

縁あって私は夫と巡り会い、健康で可愛い男の子にも恵まれ、今は独身時代に比べて女性として一人の人間として、幸せなときを過ごしていることを感謝しています。(性格上、子どもや夫の世話をするのは好きな方かもしれません。)       結婚当初、「子どものオムツが要らなくなったと思ったら、今度は主人がオムツなんてことにならないでよ」と、夫によく悪い冗談を言っていました。今は、半分それに近い状態になってはいますが、夫の脳梗塞からの生還とでも言える、歩行器を使って移動していた入院時や発症時から比べ、今を思えばゆっくり少しずつですが、良くなっているようにも思うし、何よりも本人が自分の現状を受け入れてきたかなと思うことも。    

   発症以前は、かなりヘビースモーカーで、私が子どもを妊娠中でも「身体に悪いから、タバコはやめてよ。」と何度言っても、「タバコで死ぬなら本望じゃ」と言っていたのに、病気をして主治医に「タバコをやめないと死にますよ」と言われ、ピタッとやめました。というか、脳梗塞を発症してから入院中は吸う気にもなれないのか、自然に禁煙状態となっていました。今思うと、入院中の2週目頃、禁断症状からなのか、「わしをゴミのように捨てるのか?」など、毎日子どもを負ぶって見舞いや世話に通う私に、投げてきたあの時のヒドイ言葉や青ざめていた表情は忘れられません。「こんなに、毎日一生懸命やっているのに、どうしてそんなひどいことを言うの?」と病室で声を荒げてしまったこともありました。   

④ 出会い      

夫が脳梗塞を発症してからは、退院し家に帰ってからも、夫は毎晩、身体が痛くて眠りが浅いこともあり、自宅で夜中に起きては脳梗塞に関する本やリハビリの本などを読んでいました。しかも、「この気持ちは本人しか分からん」などベッドに腰掛けて、固くなった足を見つめながらよくぼやいていたので、「きっと孤独感でいっぱいなのかなぁ。」、「同じような病気を持ちながらも生活している人と知り会えたら、少しはいいことがあるかも」と思っていた頃、中国新聞のある一面のほんの小さな記事が目に止まりました。       

「脳卒中の会・・・広島で近日、会合が開かれる」しかも参加無料!      
すぐに記事を切り抜き、夫に見せました。「あなたこれ、行ってみたら?」と。     
その時、主人は、まだ少し迷っていたみたいでしたが、「あんたが車で連れてってくれるなら行く」と言うので、私は運転手、付添い人として参加することに。
      それが、ぴあチアーズに私達夫婦が初めて参加したきっかけです。      

初めて参加したときの印象は、広い会場に80名位の人々がいて、杖をつきながらゆっくり歩く人、車椅子の人、一見元気そうでも話をしてみるとしびれなどの後遺症で悩まされている人等々、たくさんの老若男女の脳卒中患者とその家族やスタッフがおられました。

その集団の中に初めて入り、雑談タイムの自己紹介のときにふと涙が溢れました。「なんだろう。この涙は?自分でも分からない、分からないけど、ああそうか!」      
「私も辛かったんだ」。夫が脳梗塞にある日突然なって、生活が激変していたのです。あれから、夫も必死にリハビリ生活を送ったんだろうけど、妻である私も私なりに必死で無我夢中に日々を過ごしてきた。夫を支えるべく。       

入院してすぐのことで、泣くに泣けぬ多忙な日々を過ごし、入院生活に慣れてきた矢先、「リハビリ病院へ転院が必要です」と言われ、次の選択をしなければいけない。      
夫が自営している事務所を潰してはいけない。当時の職員に一日の仕事の日報を確認し、所長の夫へ伝える日々。事務所の戸締りをしてから子どもをママ友へ預け、夜も病院の見舞いに通う。息子は、いつもと違うことを分かってか、深夜に突然「父さ~ん、父さ~ん」と泣き出して、こちらも泣き出しそうでした。張りつめていたのか、泣けなかった。      
モニター音などが響く救命センターの異様な空気、環境に押し潰されそうになる。夫は、4日目にして、一般病棟へ移った。少し夫も落ち着いていた。おにぎりが食べられた。     
利き手だった左側が麻痺して自助具のスプーンを持って、食事もリハビリ。ナースさんに紙オムツを買ってくるよう言われ、用意。夫が"遂に紙オムツか・・・"とリアルな現実が否応なく目の前に突き出される。ポータブルへの練習、私も介助の仕方をナースさんに習う。      
夫が入院している間も、顧客からの電話や社員への給料の振込み等対応・処理しなければならないことが沢山あった。夫が入院前に決めていた、自宅ともう一つの経営部所の引越し作業もあった。実家の母にも子どもの世話を助けに来てもらった。      
いろんな人を巻き込みながら、周囲の支えや協力があって乗り越えられた。必死に乗り切った当時をようやく我ながら振り返ったのでした。      

「そうだ!私は育児と夫の世話とを日々こなすのに精一杯で、あの時の自分を振り返る一時も持ってなかったんだ。」ということにも気付きました。      
そして、ぴあチアーズで初めて出会って名前を名乗りあったご夫婦がまた素敵な方でした。そのご夫婦にこの会で出会う度、話を交わさなくても何か温かい気持ちになれる。今日もまた、この場所で元気に会えました。それだけで、何か嬉しい気持ちになれます。      
皆さん、ぴあチアーズに、寒い日も暑い日もはるばるやって来るのには、「どんな思いで来られているのだろう?」と、いつも帰りの道中、そんなことを思いながら、夫と語り合いながら、帰路に着く。    

   「そこに行けば、仲間がいる。仲間から、実体験から得た様々なことを聞ける。そして、自分も語る。それだけでも十分癒される。」、これがピアカウンセリング(共に癒し合う)。そして、またそれぞれの家庭、職場、日常へと戻る。 「また、次の会にも行こう、行きたい、そこには何かがある。仲間と会える」それが私の、ぴあチアーズ。

最後になりましたが、これからも、この会のますますの繁栄と会員皆様のそれぞれの幸せと健康を願いつつ私からの発表は終わりと致します。 ご清聴、ありがとうございました。


6.後記      
最後に・・・     
今日、この場で皆様の前で若輩者の私がお話しをさせて頂くことになり当初は、私と夫の脳梗塞体験談から学んだことを、どうお話したらいいか纏まらぬまま日々が過ぎてゆきました。が、今日このような発表の場を設けて頂き、改めて記述化し、整理をすることができ、今日が私にとっても大切な節目となりました。
http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です

障がい者就労支援センターへの取り組みについて

障がい者就労支援センターへの取り組みについて
さまざまな問題があることがわかってきた

 25年10月に障がい者就労支援センターを開業しました。民営の就労支援をする障害者のための塾です。

 事業内容として地域の障がい者の就労と社会参画の充実を図る事業を行います。 OA機器の操作、ソフトの作業内容の専門的知識、実務知識の習得を目指します。

 広島県における障害者雇用については雇用失業情勢の悪化により障がい者を取り巻く雇用環境が厳しい状態が続いています。 就業中の障がい者の職業定着が課題となっています。

 障がい者の働く意欲や職業別自立への努力を理解し、一人でも多くの障がい者が適性に応じた職業に就き持てる能力を発揮できるように手助けします。 また民営の就労支援センターとして良質の人材を育成することを目指します。
http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です

障がい者手当をもらうのは大変なこと

障がい者手当をもらうのは大変なこと
いつ申請するの? 今でしょう!!

障がいになったことに対してもらえる手当が、広島市の場合、意外とある。
たとえば障がい基礎年金、特別障がい給付金、特別児童扶養手当、特別障がい者手当、障がい児福祉手当、重度心身障がい者介護手当、児童福祉手当、遺児福祉手当、被爆身体障がい者福祉手当がある。

障がい者に対して手当は厚く保障されている、が、問題はその申請の仕方である。現在では給付は申請があった日の属する月以降となる。つまり申請しないとくれないということだ。申請時にさかのぼってその障がいの状態になったときにくれるというものでない。

もらい忘れもあるということだ。この段差がよくわからない。似たようなケースがまだある。

手の指を怪我して指を無くし、治療して2年位たっている人に会って障がい者手帳を取るように教えたことがある。その人は3ヶ月して手帳を取得して、2級になったので、重度医療者証を取得して医療費が無料になって喜ばれた。この時も気づいて指摘しなかったらそのままだったと思う。医療の人たちは何も言ってくれない。

広島市民病院のなかに退院支援室というポジションがある。入院患者が退院するときに次の居場所を求めて探すところだ。その時に本人の経済状況や生活の状況を聞くこともあるという。また、もちろん本人が相談する場合もあるという。障がい者手帳を取得する段取りなどまず一般病院では手が回らない。ましてや障がい者手当の申請などどうしたらよいかわかるはずもない。
広島市の心身障がい者福祉のしおり(平成25年度版)が手元にある。障がいになった人が手にするマニュアルみたいなもので、掲載内容一覧に ①相談窓口 ②手帳の交付 ③保健医療 ④年金・手当など ⑤障がい福祉サービス ⑥障がい福祉サービス以外の在宅サービス ⑦学ぶ ⑧働く がある。 内容としては制度のあらましと施設一覧である。
確かに必要な 資 料 ではあるが、どうしたらよいか手続きをするポイントがかかれていない。もう少し、工夫をしたらいいのにと思われる。
http://uttaeteyaru.jugem.jpに掲載された内容の紹介です

2013年12月3日火曜日

赤い羽根募金お願いします

赤い羽根募金にどうかご参加を

私たちは障がいをお持ちの方や、高齢者の方、また小学生のフォローアップを手がけています。


現在、あなたの御心がけを私たちは待ってます。あなたが動けば世界が動くことを実感できます。

ささやかなご支援も集まれば大きな力となって事態は変わります。

この世界で小さな者が力強く生きる、自信を持って生きる。

誰でも平等な世界にしませんか?
baruko